家康公の『どうする?スポット』in岡崎市~その③岡崎城~

こんにちは!カズマです🐎

すっかり秋も深まって、紅葉まっさかりですね🍁
岡崎市のお隣の豊田市足助町(あすけちょう)には、「香嵐渓(こうらんけい)」という
全国有数の紅葉スポットがあり、例年11月には「香嵐渓もみじまつり」が開催され、
多くの人で賑わいます。
4,000本を超えるもみじは圧巻で、期間中はライトアップもされるため、朝から晩まで
いろいろな表情のもみじを楽しむことができます 🌟

11/30までなのであと少しにはなりますが、まだ間に合いますよ!
但し、大人気のため周辺の道はものすごく混雑します😫
特に土日に行かれる場合は、なるべく早めにお手洗いを済ませておくことをおすすめします🚻
紅葉シーズンのお手洗い問題、地元民あるあるの一つです😁

また、先日りいさんが紹介してくれた「足助みたち栗園」さんもこの香嵐渓の近くなんです!
9・10月は栗拾い、11月は紅葉と、秋満載の足助町に是非足を伸ばしてみて下さいね。
リンク:秋と言ったら『食欲の秋』!!人生初の栗拾い🌰

さて、今回お送りする『どうする?スポット』第三弾は、家康公が生まれた「岡崎城」です!

岡崎城について

1542年、家康(幼名は松平竹千代)はここで松平広忠と於大(おだい)の方の間に生まれました👼

この岡崎城、はじめから松平氏の持ち城ではなく、15世紀の中頃に当時の三河守護代であった
西郷氏が建てた居館が元になっているとされています。
その後、家康の祖父に当たる松平清康が奪取し、岡崎に本拠を移し本格的な城を構えたことから
松平氏と岡崎城の歴史が始まりました🏯

西郷氏については、松平に屈して以降あまり表舞台には出ないため、聞き慣れない方も多いかと
思いますが、実は二代将軍秀忠の母親であるお愛の方(西郷局)はこの西郷氏の養女なんです!
この岡崎の地で、しっかりと松平・徳川の天下を支えた名士といえますね👍

城の敷地内には、誕生時の産湯に使われたとされる「東照公産湯の井戸」もあります!
井戸から汲み上げた水を触ることができ、パワースポットの一つとなっています✨

家康はここで6歳まで過ごしたのち、人質となり岡崎を後にすることになります。
尾張の織田家で2年、駿河の今川家で12年の人質生活を経て、桶狭間の戦いをきっかけに帰還。
その後は浜松に移るまでの10年弱の間、居城としていました。

織田か、今川か(清洲同盟)

前回のブログでご案内した「三河一向一揆」は在城中でもっとも大きな出来事といえますが、
その前に岡崎に帰還したばかりの家康にはかなり重要な判断が必要でした🤔
それは、「織田家と結ぶか、今川家との関係を継続するか」という、未来が懸かった二択です。

今川氏は嫡男の氏真が当主の座をすぐに引き継いでおり、桶狭間の直後においては勢力として
大きな衰えもなく、変わらず強大な力を保持しています。そのうえ家康は岡崎城に入れたといえ、
妻子(築山殿、信康、亀姫)は駿府に残ったままであり、いわば人質同然の状態だったのです。

織田氏は若き当主信長が大大名の今川義元を討つという金星を挙げ、日本中を震撼させました。
ただこの頃はまだ尾張一国の小大名に過ぎず、北方の美濃斎藤氏とも激しく対立していました。
さらに、古くから織田と松平は隣国として対立を繰り返しており、大きな軋轢があります💥

さて、どうする??

もし僕がこんな過酷な状況で判断を迫られたとしたら、逃げ出したくなります🤢
常識的に考えると、広大な領地を有しているうえ妻と嫡男まで人質に取られた状態ならば、
ほとんどの人が「今川家との関係を継続する」という判断をするのではないでしょうか。

しかし、家康は周知の通り「織田家と結ぶ」という決断を下しました。
ここに至るいろいろな背景はあったと思いますが、これ以降両家の破竹の勢いを知る僕達は、
家康、信長両者の先見の明と決断力に驚くばかりです!ほんと、凄すぎます😲

こうして織田家と徳川家は手を結び(清洲同盟)、互いに背を預けながら大きく成長していきます。
この関係は本能寺の変で信長が討たれるまで変わることはありませんでした。

嫡男と妻のこと

人質に取られていた妻子ですが、妻の築山殿が今川家の一門衆でもある重臣の娘ということもあり、
処断されることなく無事岡崎に帰還することができました👌

それから月日は流れ、徳川は今川の領地を手に入れ、本拠を遠江の浜松城に移します。
岡崎城の城主には、成長した嫡男の信康に引き継がれました。
信康は若くして武勇の誉高く、順風満帆と思われた矢先…悲劇的な出来事が起こります😨
信長より、信康と築山殿が敵対している武田氏と通じている、という嫌疑がかけられたのです。

結果として、この頃には強大な力を手に入れていた信長との関係を守るため、
家康は何にも代え難い妻子(嫡男と妻)を死に追いやる、非情とも言える決断をしました。

この事件についての原因は諸説あります。
家康や信康、築山殿の名誉のためにもいろいろ紹介したいところですが、止まらくなるので我慢🤐
とにかく、とてつもない「どうする?」を家康は経験しました。
この悲劇を耐え、乗り越えたことも「鳴くまでまとうホトトギス」に代表されるように
「忍耐の家康」という人物像を作り上げたのかな、と思います。

築山殿の首塚が、岡崎城からほど近くの八柱神社さんにあります。
氏子の方々によって立派な供養塔も作られ、450年経った今でも手厚く祀られています。
ドラマでは大人気女優さんが演じられるそう。(僕も大ファンです😍)
どのような人物像が、そして最期が描かれるのか、興味深いところです。

まとめ

今回は、岡崎城にまつわるお話をご紹介しました。
まだまだ知ってほしい『どうする?スポット』はありますが、とりあえずひと段落。
ご紹介したスポットも含め、岡崎市がどのように絡んでいくのか、皆さんも注目して下さい!
そして、少しでも興味を持っていただけたのならば、ぜひ遊びに来てくださいね😊

⚠️岡崎城は2023年1月20日までリニューアルのため、中に入ることはできません。
 大河ドラマの放送開始に向けてパワーアップするそうなので、こちらもお楽しみに✨

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「110号室 カズマ」のプロフィール

スピッツ、ミスチル、小室ファミリーとともに青春時代を過ごした昭和男。
趣味は史跡めぐり、スポーツ観戦、そして「馬」!
乗馬、馬の雑貨集め、一口馬主や引退馬支援まで、できることには一通り手を出しています。
ただし、話題の「ウ〇娘」には未だ踏み込む勇気がありません…


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